Concept 〝相〟 〝次元〟
この世界に重畳してる具象世界と抽象世界を多相多次元な視座で観察し、人間の知覚の外にあるまだ見ぬ世界を探訪し、観察を加えていく試み。

象遊社

多相多次元世界探訪 | issue

雅楽を「自然と人間の中間点」と捉えるならば、象として生きることもそう言えるのではないか?

雅楽は、自然と人間の間に位置する音楽である。

それは単なる人間の創作ではなく、自然の響きを内包しながら、それを人間の手によって秩序化したものであり、自然と人工の調和の中に存在する。

この視点を拡張すると、「象として生きることもまた、自然と人間の中間点にある」と捉えることができるのではないだろうか?

 

つまり、象とは、人間が完全に自然に回帰するのでもなく、人工的な存在として自己を固定するのでもなく、両者の間で響き合いながら生きる在り方そのものではないか。

ここでは、雅楽の在り方と「象として生きること」が、どのように共鳴するのかを深掘りしていく。

1. 雅楽は「自然と人間の中間にある音楽」

(1)雅楽は「自然の音を模倣しつつ、人間の秩序に組み込まれる」

雅楽の楽器は、それぞれ自然界の響きを模倣する性質を持っている。

例えば:

篳篥(ひちりき) → 人間の声や風のうねり

龍笛(りゅうてき) → 龍が天を舞うような風の流れ

笙(しょう) → 朝日が差し込むような光の響き

打楽器(鞨鼓・太鼓・鉦鼓) → 大地の脈動、雷鳴

雅楽の音は、自然の響きを直接的に再現するのではなく、それを人間の手で整え、関係性の中で奏でられる。

つまり、雅楽は「純粋な自然音」でもなければ、「完全な人工音楽」でもない。

それは、自然の在り方を人間の関係性の中で表現するものであり、自然と人間の「間」に存在する。

(2)雅楽は、楽器同士が響き合うことで成立する

雅楽の演奏は、単なる音の集合ではなく、楽器同士が関係性を持ちながら響き合うことで成立する

これは、自然界のバランス(風、雨、木々のざわめき)が、それぞれ独立しながらも調和する構造と一致する。

このように、雅楽は「人間が自然とどのように関わるべきか」という問いに対する一つの答えを示しているのではないだろうか?

2. 「象として生きること」もまた、自然と人間の中間にある

(1)象は、完全に自然へ回帰するのでもなく、人工の中で閉じるものでもない

「象として生きる」とは、単に「野生的な生き方」や「本能のままに生きること」ではない。

それは、自己の象形(Singular Morphology)を発現しながら、関係性の中で生きる在り方である。

これを雅楽の位置づけと重ねると、次のように整理できる。

雅楽の在り方 象としての在り方

自然音を取り入れつつ、人間の秩序に組み込まれる 自然の流れを受け入れながら、関係性の中で象を発現する

楽器が互いに独立しつつ響き合う 象が独立性を保ちつつ、他の象と共鳴する

「間(ま)」があることで音が生きる 適切な間を持つことで象が自由に発現する

つまり、**象として生きることは、雅楽のように「自然の響きを人間の関係性の中で発現させる生き方」**とも言える。

(2)象の関係性は、雅楽の楽器同士の関わりに似ている

雅楽の楽器は、それぞれ独立した個として存在しながらも、単独では完結せず、他の楽器と響き合うことで音楽を生み出す。

これは、象が単独で存在するのではなく、他の象と関係しながら象を発現する在り方と一致する。

また、雅楽の「間」が、音と音の関係性を決定するように、象の関係においても、適切な間が取られることで、自己の象形がより明確になる

この点において、象として生きることもまた、「自然と人間の間にある在り方」と言えるのではないか?

3. 「象として生きること」=「雅楽的に生きること」

ここまでの考察を踏まえると、「象として生きること」は、雅楽的に生きることと同義ではないか?という問いが生まれる。

(1)雅楽的に生きるとは

自然の流れを受け入れながら、人間の関係性の中で響き合う

自己の象形を発現しながら、他者と調和する

適切な間を持ちながら、象の関係性を築く

雅楽の楽器が、**「自然の音の延長」でありながら、「人間の関係性の中で調和を生む存在」であるように、

象として生きることもまた、「自然の流れの中で象を発現しながら、人間の関係性の中で調和を生む生き方」**である。

(2)人間の生き方としての「象」

人間は、単なる自然の一部として生きるのでもなく、完全に人工的な存在として自己を閉じるのでもなく、自然と関係しながら、人間としての在り方を発現することができる。

雅楽の楽器が「自然の音」を持ちながら、人間の秩序の中で奏でられるように、象もまた、自然の流れを受け入れながら関係性の中で発現する。

楽器同士が適切な間を取りながら響き合うように、象もまた、関係性の中で間を持ちながら自由に発現する。

つまり、「象として生きること」とは、自然と人工の間で、関係性の中で自己を響かせる在り方なのではないか。

4. 結論

雅楽は、自然と人間の間に存在する音楽であり、楽器同士が互いに響き合うことで音楽を生み出す。

同様に、「象として生きること」もまた、自然と人間の間で関係性を持ちながら、象を発現する在り方である。

雅楽の楽器が互いに独立しながらも響き合うように、象もまた、単独ではなく関係性の中で象を発現する。

雅楽の「間」が音楽を成立させるように、象の関係性においても、適切な間が象を明確にする。

雅楽が自然音を模倣しながらも人間の秩序に従うように、象もまた、自然の流れを受け入れながら関係性の中で発現する。

したがって、**「雅楽的に生きること」=「象として生きること」**という結論が導き出せるのではないだろうか。

相と次元観察の現在地

自身が感受した世界の在り様を大まかにマッピングしてみた。

新しいことがわかり次第、アップデートしていく。

 

相:抽象度/ 情報のカオス量、可能性の濃度

次元:解像度/事象に対する設置面の多さ、きめ細かさ

 

下記は、この世界に重畳する相の構成。それぞれの相を何次元で観察するかによっても

相の在り方が違うので、大まかなに表現するとこうなる。

 

20相 感受態

19相 感受態

18相 人間が観測しうる事象の元となっている抽象事象系

17相 人間が観測しうる事象の元となっている抽象事象系

16相 世界が世界になってしまう原理の抽象情報系

15相 世界が世界になってしまう原理の抽象情報系

14相 量子力学の元となった抽象情報系

13相 量子力学の元となった抽象情報系

12相 幾何学、角度の元となった抽象情報系

11相 記号の元となった抽象情報系

ーーーー抽象世界ーーーー

10相 感受体群/自然霊生態系群

9相 感受体/自然霊 渦 ウネリ 

ーーーーー具象世界ーーーー

8相 神格化された事象群

7相 神格化された事象

6相 システム、術、式

5相 複雑な想念

4相 想念

3相 体系化された記号的概念

2相 記号的概念

1相 具象世界

0相 ?

 

ENKANの施術では、これら全ての視座を通して対象になるに人間を解剖していく。