Concept 〝相〟 〝次元〟
この世界に重畳してる具象世界と抽象世界を多相多次元な視座で観察し、人間の知覚の外にあるまだ見ぬ世界を探訪し、観察を加えていく試み。

象遊社

多相多次元世界探訪 | issue

イスナイスラ構造体・総整理――戒象・定象・慧象と多相多元生命構造

ここで扱われているイスナイスラ構造体とは生命を「個体」や「主体」に還元せず、世界がどのように立ち上がり、変化し、固定され、再び開かれるのかを、構造と運動の側から記述する生命構造論である。

 

ここでいう生命とは、生物学的生命に限定されるものではない。それは、世界が固定されることなく成り立ち続けるための、多相・多次元的な生成運動そのものを指している。

 

相・次元・並立的対応存在

 

イスナイスラ構造体は、相(Phase)と次元(Dimension)という二つの直交する軸によって構成される。

相とは、世界や存在がどの成立様式で現れているかを示す位相であり、上下や発展段階ではなく、「見え方の差異」を表す。次元とは、同一の相の内部で、世界をどれだけ多面的・多元的に読めるかという解像度軸である。

 

これらの交点には、相次元ごとに成立する並立的対応存在が存在する。それらは置換可能でも同一でもなく、異なる理に従いながら、構造的な対応関係として同時に成立している。この配置全体が持つ余地を、存在ポテンシャルと呼ぶ。

 

 

統合様式と動的交差

 

イスナイスラ構造体には、中心主体や統一的自己、全体を管理する核は存在しない。統合は固定された状態ではなく、相・次元・並立的対応存在が非周期的に交差し続ける運動としてのみ成立する。

 

この動的交差はカオス的でありながら無秩序ではなく、同じ経路を二度通らないにもかかわらず、構造そのものは崩壊せずに持続する。

 

 

観察点・反応点・作用点

生命運動は、観察点・反応点・作用点という三点の循環として現れる。

観察点とは、特定の相次元という視座を通して、世界の関係配置が成立はしているが、そのままでは通れない状態として現れたときに、結果として立ち上がる焦点である。

 

反応点とは、その焦点化された配置が、理に従って現象として立ち上がる起点である。

 

作用点とは、その反応が他の存在条件に触れ、世界の成立配置に影響を及ぼしてしまった位置である。

重要なのは、反応や作用が意図・判断・正解によって生じるのではなく、構造的に届いてしまうという点である。

 

通過不能・閉路・開口

世界の関係配置が、ある相次元においてそのままでは通れない状態として現れることを、本書では通過不能と呼ぶ。通過不能は必ずしも解消されるとは限らない。

 

解消される場合、世界は別の通り方を受け入れ、動的交差の中で配置を更新する。解消されない場合、通過不能は沈殿し、読みの様式や作用の偏りとして構造化される。

 

反応が反応として完結し、作用点に届かない状態が反復されるとき、観察点は同じ読みの様式に固執し、閉路が形成される。閉路が開くとは、反応が正しくなったことでも、観察点が意識的に移動したことでもない。

 

それは、世界の関係配置が、これまでとは異なる仕方を受け入れたという事実が生じたことを意味している。

 

戒象・定象・慧象という位相

 

この構造は、戒象・定象・慧象という三つの象の位相として整理できる。

 

戒象

 

戒象の会得とは、固執した人格に付着していた殻を削ぎ落とすことで、霊性(格)の純度が回復し、格が本来の具象化母体としての機能を取り戻す位相を指す。それは、自然魂生態系群との関係性の中で、象が自我や意味に回収されることなく、象として自立する構造状態である。

 

定象

 

定象とは、視座が転換され、社会的役割(スキル)と象意が一つの通り方として合一し、世界との関係が崩れない形で安定して保たれる位相である。

 

慧象

 

慧象とは、象が単一の意味や機能に回収できないことが、多相多元の構造として露わになる位相である。イスナイスラ構造体が記述しているのは、この慧象の位相、すなわち象の多相多元化された生成構造である。

終わりに

イスナイスラ構造体は、正解や方法を与える理論ではない。それは、世界がどのように成立し続けているかを、一つの配置としてここに置いたにすぎない。理解されなくてもよい。使われなくてもよい。ただ、世界が別の仕方で立ち上がる瞬間に、この構造がふと想起されるなら、それで十分である。

雅楽を「自然と人間の中間点」と捉えるならば、象として生きることもそう言えるのではないか?

雅楽は、自然と人間の間に位置する音楽である。

それは単なる人間の創作ではなく、自然の響きを内包しながら、それを人間の手によって秩序化したものであり、自然と人工の調和の中に存在する。

この視点を拡張すると、「象として生きることもまた、自然と人間の中間点にある」と捉えることができるのではないだろうか?

 

つまり、象とは、人間が完全に自然に回帰するのでもなく、人工的な存在として自己を固定するのでもなく、両者の間で響き合いながら生きる在り方そのものではないか。

ここでは、雅楽の在り方と「象として生きること」が、どのように共鳴するのかを深掘りしていく。

1. 雅楽は「自然と人間の中間にある音楽」

(1)雅楽は「自然の音を模倣しつつ、人間の秩序に組み込まれる」

雅楽の楽器は、それぞれ自然界の響きを模倣する性質を持っている。

例えば:

篳篥(ひちりき) → 人間の声や風のうねり

龍笛(りゅうてき) → 龍が天を舞うような風の流れ

笙(しょう) → 朝日が差し込むような光の響き

打楽器(鞨鼓・太鼓・鉦鼓) → 大地の脈動、雷鳴

雅楽の音は、自然の響きを直接的に再現するのではなく、それを人間の手で整え、関係性の中で奏でられる。

つまり、雅楽は「純粋な自然音」でもなければ、「完全な人工音楽」でもない。

それは、自然の在り方を人間の関係性の中で表現するものであり、自然と人間の「間」に存在する。

(2)雅楽は、楽器同士が響き合うことで成立する

雅楽の演奏は、単なる音の集合ではなく、楽器同士が関係性を持ちながら響き合うことで成立する

これは、自然界のバランス(風、雨、木々のざわめき)が、それぞれ独立しながらも調和する構造と一致する。

このように、雅楽は「人間が自然とどのように関わるべきか」という問いに対する一つの答えを示しているのではないだろうか?

2. 「象として生きること」もまた、自然と人間の中間にある

(1)象は、完全に自然へ回帰するのでもなく、人工の中で閉じるものでもない

「象として生きる」とは、単に「野生的な生き方」や「本能のままに生きること」ではない。

それは、自己の象形(Singular Morphology)を発現しながら、関係性の中で生きる在り方である。

これを雅楽の位置づけと重ねると、次のように整理できる。

雅楽の在り方 象としての在り方

自然音を取り入れつつ、人間の秩序に組み込まれる 自然の流れを受け入れながら、関係性の中で象を発現する

楽器が互いに独立しつつ響き合う 象が独立性を保ちつつ、他の象と共鳴する

「間(ま)」があることで音が生きる 適切な間を持つことで象が自由に発現する

つまり、**象として生きることは、雅楽のように「自然の響きを人間の関係性の中で発現させる生き方」**とも言える。

(2)象の関係性は、雅楽の楽器同士の関わりに似ている

雅楽の楽器は、それぞれ独立した個として存在しながらも、単独では完結せず、他の楽器と響き合うことで音楽を生み出す。

これは、象が単独で存在するのではなく、他の象と関係しながら象を発現する在り方と一致する。

また、雅楽の「間」が、音と音の関係性を決定するように、象の関係においても、適切な間が取られることで、自己の象形がより明確になる

この点において、象として生きることもまた、「自然と人間の間にある在り方」と言えるのではないか?

3. 「象として生きること」=「雅楽的に生きること」

ここまでの考察を踏まえると、「象として生きること」は、雅楽的に生きることと同義ではないか?という問いが生まれる。

(1)雅楽的に生きるとは

自然の流れを受け入れながら、人間の関係性の中で響き合う

自己の象形を発現しながら、他者と調和する

適切な間を持ちながら、象の関係性を築く

雅楽の楽器が、**「自然の音の延長」でありながら、「人間の関係性の中で調和を生む存在」であるように、

象として生きることもまた、「自然の流れの中で象を発現しながら、人間の関係性の中で調和を生む生き方」**である。

(2)人間の生き方としての「象」

人間は、単なる自然の一部として生きるのでもなく、完全に人工的な存在として自己を閉じるのでもなく、自然と関係しながら、人間としての在り方を発現することができる。

雅楽の楽器が「自然の音」を持ちながら、人間の秩序の中で奏でられるように、象もまた、自然の流れを受け入れながら関係性の中で発現する。

楽器同士が適切な間を取りながら響き合うように、象もまた、関係性の中で間を持ちながら自由に発現する。

つまり、「象として生きること」とは、自然と人工の間で、関係性の中で自己を響かせる在り方なのではないか。

4. 結論

雅楽は、自然と人間の間に存在する音楽であり、楽器同士が互いに響き合うことで音楽を生み出す。

同様に、「象として生きること」もまた、自然と人間の間で関係性を持ちながら、象を発現する在り方である。

雅楽の楽器が互いに独立しながらも響き合うように、象もまた、単独ではなく関係性の中で象を発現する。

雅楽の「間」が音楽を成立させるように、象の関係性においても、適切な間が象を明確にする。

雅楽が自然音を模倣しながらも人間の秩序に従うように、象もまた、自然の流れを受け入れながら関係性の中で発現する。

したがって、**「雅楽的に生きること」=「象として生きること」**という結論が導き出せるのではないだろうか。

相と次元観察の現在地

自身が感受した世界の在り様を大まかにマッピングしてみた。

新しいことがわかり次第、アップデートしていく。

 

相:抽象度/ 情報のカオス量、可能性の濃度

次元:解像度/事象に対する設置面の多さ、きめ細かさ

 

下記は、この世界に重畳する相の構成。それぞれの相を何次元で観察するかによっても

相の在り方が違うので、大まかなに表現するとこうなる。

 

20相 感受態

19相 感受態

18相 人間が観測しうる事象の元となっている抽象事象系

17相 人間が観測しうる事象の元となっている抽象事象系

16相 世界が世界になってしまう原理の抽象情報系

15相 世界が世界になってしまう原理の抽象情報系

14相 量子力学の元となった抽象情報系

13相 量子力学の元となった抽象情報系

12相 幾何学、角度の元となった抽象情報系

11相 記号の元となった抽象情報系

ーーーー抽象世界ーーーー

10相 感受体群/自然霊生態系群

9相 感受体/自然霊 渦 ウネリ 

ーーーーー具象世界ーーーー

8相 神格化された事象群

7相 神格化された事象

6相 システム、術、式

5相 複雑な想念

4相 想念

3相 体系化された記号的概念

2相 記号的概念

1相 具象世界

0相 ?

 

ENKANの施術では、これら全ての視座を通して対象になるに人間を解剖していく。